燃料電池と水素エネルギー社会

 現在急速に進行している技術革新のひとつとして燃料電池がある。燃料電池は水素と酸素(普通は空気でよい)を利用して発電する技術である。水素エネルギーは未来のエネルギーとしてかねてより期待されていたが、いよいよ本格的になってきた。以下には燃料電池と水素エネルギーについて簡単に解説する。

燃料電池とは

 燃料電池(Fuel Cell)にはいくつかの種類がある。燐酸型、アルカリ型、溶融炭酸塩型、固体電解質型、固体高分子型である。このうち燐酸型は既に定置用発電装置として商業レベルになっているが、大量に生産されてはいない。アルカリ型は宇宙開発用に利用されており、アポロ13号では事故を起こしたが、宇宙から無事帰還する宇宙飛行士を描いたトム・ハンクス主演の映画「アポロ13」によって一般にも知られるようになった。
 これに対して80年代末から集中的な研究開発が進み、自動車用に実用化されつつあるのが、PEM(Proton Exchange Membrane)燃料電池(日本語では固体高分子型燃料電池)である。
 燃料電池にはコンプレッサ以外には動く部品がない。動いているのは燃料の水素と酸素(または空気)だけだ。動く部分がないので余分の動力をロスしないですむ。内燃機関の場合には、ピストンの往復運動や摩擦抵抗があり、ガソリンなどの燃料の持つエネルギーのうちほんの13%程度が最終的に走行するのに必要なエネルギーに転換されるだけである。燃料電池はこれに比べて可動部分がないから損失が少なく効率が高い。実際、固体高分子型燃料電池は、発電効率が40-50%ある。電力をモーターに供給すればモーターの効率は85-95%あるので、燃料電池車は、油井から車輪までの効率が内燃機関の場合の2.5倍から3倍になると計算されている。
 燃料電池は騒音が小さい。内燃機関がガソリンなどの燃料の爆発的な燃焼を利用するため、その騒音は減らしようがないが、燃料電池ではコンプレッサの音だけである。さらにこの燃料電池の動作温度は80℃程度であるので、使用する材料の選択が自由になる。プラスチックや低コストの金属が利用できる。
 発電によって生成するのは水だけであり、大気汚染を引き起こさない。水素を太陽光発電や風力発電により水の電気分解から供給すれば、二酸化炭素も排出しない。しかし、当面は、化学産業からの副生水素を利用したり、天然ガスを改質して水素を作るのが現実的であると考えられている。(この場合には水素生産の過程で二酸化炭素が排出する)

固体高分子型燃料電池の構造

 固体高分子型燃料電池は、多数のセルからなっている。ひとつのセルはイオン交換膜、電極、セパレータからなっている。ひとつのセルには、イオン交換膜を挟んで両側にそれぞれ水素と酸素(または空気)を供給する構造になっている。以下に構成部品を見てみよう。
1)イオン交換膜
 イオン交換膜は陽子を通過させる膜で厚さ0.1mm以下の透明なプラスチック・フイルムである。イオン交換膜の両側には、カーボン電極と触媒をつけてあり、この部分をMEA(メンブレーン・エレクトロード・アセンブリ:膜電極接合体)と呼んでいる。 イオン交換膜は薄ければ抵抗が小さく陽子が移動しやすく、出力密度が向上する。イオン交換膜は水素と酸素(または空気)のふたつのガスを遮断するガス・バリア(ガス遮断)の役割をもっている。水素と酸素が直接接触すれば危険である。膜が薄いとガス・バリア性能が低下し、耐久性が減少し寿命が短くなる。膜の強度を高めるために膜のなかに芯材を入れる工夫が行われている。イオン交換膜は適当な水分を含んでいる必要がある、水分がないと陽子の移動能力が低下する。
 さて、図1に示すように、水素極で水素が白金などの触媒に触れると、水素から電子(e-)が飛び出て陽子(H+)が残る状態になる。水素が電離するわけである。電子は外部回路へと流れる。陽子はイオン交換膜を通って酸素極へ移動する。酸素極では酸素と陽子が結合して、このとき外部につないだ回路からもどってきた電子が結合して結局、水ができる。外部の回路に出ていった電子は外部負荷に電力として仕事をしてくる。

図1 固体高分子型燃料電池のセル

2)セパレータ
 それぞれのセルを隔離しているのがセパレータ(隔壁板)である。英語ではバイポーラ・プレートという。セパレータは水素と酸素(または空気)がイオン交換膜の全面にわたって一様に接触して流れるようにする。そのためセパレータにはガスを全体にまんべんなく流すための溝が彫ってある。溝の深さは0.5mmほど、その幅は1から数mm程度である。この加工はいまのところNC工作機械によるもので、時間とコストのかかるものになっている。
 このセパレータは発生した電力を隣のセルに伝える電気伝導体でなくてはならない。このためセパレータの材質は、電気を良く通し、同時にこの腐食しやすい雰囲気に耐えるものが必要である。また強力なボルト締めに耐えるように強度も必要である。現在では、カーボン材料が利用されているが、ステンレスやチタンなども検討されている。現状の燃料電池の質量構成をみると、このセパレータが80%近くになっている。将来、大量生産が行われるときには質量の大きな部分がコストを決定する要素になる可能性があるので、セパレータの材料の選択とコスト低下は重要な問題である。
3)セルとスタック
 ひとつのセルは、イオン交換膜、電極、セパレータからなっている。セルをいくつも積層したものを燃料電池スタックと呼んでいる。スタックが一冊の本だとすると、本の1ページがひとつのセルである。ただし、このセルは厚さが1~4mmである。ひとつのセルが0.5-0.8ボルトの電圧を発生する。
 積層したセル全体を貫通するボルトとナットで締めて固定する。ボルトをあらかじめ引っ張りナットを締める。ボルトの強力な力で接触させたセパレータ面全体に電流が流れるようにする。電流が大きいので面全体を導体にして電気抵抗を減少させる。  セルを何枚も積層すると直列になり高電圧を取り出せる。ひとつのセルの電圧と積層したセルの数をかけると、最終的に得られる電圧になる。例えば自動車の試作車の場合、400層x0.7ボルトで280Vを取り出している。
 イオン交換膜の面積に応じて電流が流れる。面積あたりの電流密度は1cm2あたり0.3-0.5アンペアである。燃料電池としてのエネルギー効率は動作点の電圧にのみ関係する。動作点のセル電圧が高ければエネルギー効率も高い。
4)触媒
 MEA(膜電極接合体)部分には、触媒として白金(プラチナ)やルテニウムが使用されている。白金は1gあたり約2,000-3,000円の高価な金属である。
 この白金の使用量が問題である。現在では、1平方cmあたり、0.4mgと言われている。1平方メートルで4gであり、自動車1台には25平方メートルのMEAが必要だとすると、100gの白金が必要になる。しかし、すでにこの10分の1でも十分だという研究成果が発表されている。大量普及するころの1台の燃料電池車には10gの白金が使用されるとし、1gあたり2,000円とすると、自動車1台あたりの白金のコストは約2万円である。100万台の自動車に必要な白金は10トンになる。
 貴金属触媒分野で世界一のメーカーであるジョンソン・マッセイ社によると、1995年の白金の年間消費量は150トンである。この多くは大気汚染を減少させるための触媒やエレクトロニクスの分野で利用されている。白金の埋蔵量は約7万トンともいわれている。リサイクルが行われるだろうからいまのところ資源量に関する心配はなさそうだ。

水素の安全性

 水素の供給について考えるとき、安全性の問題が浮かんでくる。水素が危険であるという感覚は、1937年に起きたドイツの飛行船ヒンデンブルグ号の火災事件が尾をひいている。しかし、NASAの元水素計画担当官だったアディソン・ベイン氏は、事件の核心は水素の燃焼ではなく、飛行船の船体に使われていた材料が、燃えやすいものだったという研究結果を1997年に発表している。木綿を特殊な燃えやすい液体にドープして処理をしていたためであるという分析であった。したがってあの火災事故は機体の木綿が燃えたのであり、水素が原因ではないというのである。この発表は科学雑誌やニューヨークタイムズに取り上げられて話題になった。水素の安全性についてはこれから実証的に確認する作業が重要である。
 また、日本では水素の安全性は高圧ガス規制法によって管理されているが、自動車用の高圧水素はこの法律では想定していない。また建築基準法により、商業地域では一定の貯蔵量以上を貯蔵することが認められないので、現状では自動車用に必要な規模の水素の充填ステーションを設置できない。経験を積んで安全性が確認されればこの問題は解決されていくものと思われる。

バラード社の研究開発

 長い間、固体高分子型燃料電池は出力当たりの体積や重量が大きく、動作が不安定でものにならないと思われていた。1980年代末に、ジェフリー・バラードが設立したカナダのバラード・パワー・システムズ社(以下バラード社という)が、カナダ政府からの資金を得て開発を行った。バラード社の若手研究陣はGE(ゼネラル・エレクトリック)の行った過去の研究を調べてみて驚いた。GEの設計では、セルを両側からはさむセパレータは水素燃料と空気を流す平行線型の流路の溝がついている。カバーを開けてみると反応するべき溝の部分が水でずぶぬれになっており、大部分が機能しなかった。
 「No one's done any engineering(誰もエンジニアリングをやっていない)」[参考文献1]
このエンジニアリングをやっていないという言葉は、非常に印象的である。エンジニアリングとは、現実的で工学的な設計方法を意味している。限られた予算、限られた材料で、限られた空間に最高の性能を出す実現可能な最適設計を追及することであり、ありとあらゆるアイディアの可能性を、電気化学、機械工学、熱力学、流体力学、化学工学、応用物理などの知識を使って計算しテストすることを意味する。
 ここで発明が生まれた。「1本の一筆書きの蛇行する溝を掘り、水素や空気を吹き込んで反応でできた水を吹き飛ばす」というアイデイアである。  この特許は日本にも登録されている。調べてみると登録番号は日本国特許第2711018号である。日本への出願は1990年8月30日、その元になった特許は米国に1年前の8月30日に出願されている。特許の内容は、「新規な流体流動フイールド」と呼ぶもので、セパレータに生じた水が燃料ガスや空気により押し出されて排除されるような流路構成である。
 この特許の意味するところは何か。一般に反応速度を決める最大の要因を特定するのは難しい。反応速度の限度を決めている部分を特定できればそれを改善することに集中できる。だれでも普通は、イオン交換膜の性能が反応速度を決めていると考えやすい。しかし、この特許は、燃料電池の反応が、燃料(水素)と酸化剤(空気)の供給と反応後の除去によって支配されていたことを示している。出来る限り多くの水素と酸素を電極に均一になるように供給し、反応が終わって不要な空気(酸素分がすくない)と水を出来る限り早く取り除いてやれば反応速度が増大する。この他にもバラード社は、燃料電池について多くの特許を出願している。[参考文献2]

燃料電池車

 1993年、ダイムラーベンツ社(当時)はバラード社との合弁事業に合意した。この結果、1994年には、はじめての燃料電池車NECARⅠ(純水素型、50kW、バンタイプ)ができあがった。1995年には、燃料電池スタックの1kWあたりの体積が1リットルになり、重量1kgあたりの出力は700Wに達した。その後、NECARⅡ(1996年、純水素型、50kW、ミニバン)、NECAR3(ここから算用数字が使われている、1997年、メタノ-ル型、50kW,小型乗用車)、NECAR4(1999年、液体水素型および圧縮水素型、70kW、小型乗用車)、NECAR5(2000年、メタノール型、75kW、小型乗用車)となって次々と性能を上げて行った。NECARとは、New Electric Car(新型電気自動車)の略である。
 2002年6月モントリオールで開催された世界水素エネルギー会議に公開された最新のバラード社の燃料電池スタックMARK902をみると、出力は85kWあり、寸法は805x375x250mm、重量は96kg、電圧出力280ボルト、300アンペア。セル電圧が0.7ボルトとするとセルの数は400枚になる。全長から計算すると、1枚のセルの厚さは2mm程度になる。これで自動車用に十分使える大きさになっている。

燃料電池の経済性

 通常,自動車用エンジンの規模は50-100kW程度であり、その現状のコストは1kWあたり約40ドルであり、燃料電池はこのコストと同程度にならなければ普及しないと考えられている。50kWで約25万円である。これには大量生産によるコストダウンが必要である。燃料電池スタックの構造は、200から400個のセルを積層したものであり、構造は単純であり、大量生産に適していると考えられている。

図2 大量生産によるコスト低下(学習曲線による計算)

 将来の燃料電池スタックのコストを学習曲線により検討してみた。日本では燃料電池実用化戦略研究会が、自動車用の燃料電池が、2010年に5万台、2020年に500万台普及するという目標を掲げている。学習曲線を利用して、累積生産量が5万台、500万台になったときに燃料電池スタックのコストを計算したひとつの例は、図2のようになる。[参考文献3]
 現状では1kW当たりの燃料電池スタックコストは2,000ドル程度であるが、累積生産量の増大により学習効果が生じて2010年には167ドル、2020年には38ドルになるという結果になった。
 燃料電池自動車用のための水素の供給方法としては、水素を自動車に直接供給する純水素方式と、液体燃料(メタノールやクリーンガソリン)を供給して、クルマの上でこれを水素に改質する方法(車上改質)が考えられている。
 純水素自動車の場合には、水素を高圧タンクに格納する方法が最も実現性が高いと考えられているが、350気圧の場合でもタンクの重量の4%程度の水素しか貯蔵できない。400km以上の走行距離にしようとするとタンクの重量は100kg程度になる。これを計量にするためさらに高圧のタンク(700気圧)が検討されている。
 車上改質の方法は、高圧タンクが不要になるが、車上に小型の改質器を載せるため、高温部分(500‐700℃)が生じる。その改質効率は地上に設置する改質プラントよりも低くなることは避けられない。大気汚染物質も排出することになる。他の方法としては、水素吸蔵合金や水素化合物(ハイドライド)のリサイクル利用などが検討されている。水素を貯蔵するカーボンナノチューブが注目されており、その技術が確立すれば燃料電池車の実用化が急速に進むと期待する人たちが多い。
 燃料電池を利用する自動車では、エンジンのような大型の部品がなくなるので、レイアウトが自由になり、自動車の設計法が変化する可能性が話題になっている。GM(ゼネラルモータース)は、燃料電池を利用した自動車の設計が自由度を増す例として、「AUTOnomy」というコンセプトモデルを発表している。車体の下部に燃料電池などの駆動部分を格納したスケートボードのような形にして、車体の上部は自由な設計ができるようにする。こうすると車体の上部を交換するだけで、多様な車種を展開できるわけである。
 燃料電池車のライバルとしてはハイブリッドカーがある。内燃機関に比較するとハイブリッドカーは燃費が2倍になる。燃料電池車では燃費は内燃機関の2.5-3倍程度であると予想されている。水素供給のインフラ建設にはかなりの初期資本が必要である。ハイブリッドカーならば、新規のインフラ建設は不要であり、2010年ころまでは、二酸化炭素の排出を削減するには、ハイブリッドカーのほうが現実的であり、CO2排出削減効果が大きいであろう。
 現在、世界の人口は60億人、クルマは7億台あり、8.5人に1台のクルマが走っていることになる。自動車の燃費が向上して大気汚染が減少したとしても問題は残る。21世紀の後半に、中国とインドでモータリゼーションが進むと20億台のクルマが必要になる。このとき人口は90億人程度になり、4.5人に1台のクルマが使用されることになる。これは現在の3倍のクルマの台数になる。水素を用いて燃料電池車に移行すれば燃料消費は、自動車一台あたり2.5から3分の1にできる。したがって計算上は現状と同じ程度のエネルギー消費で20億台のクルマを動かせることになるが、クルマのもつ他の問題――事故、渋滞、公共交通の貧困の加速など――は増大する可能性があり、これに対処することを真剣に考えなければならない。

水素エネルギー社会

 このようにしてみると、水素を供給する産業が成立して、自動車以外の分野にも水素の需要が拡大して行くというシナリオが浮かんでくる。この方向に進めれば、太陽光発電、風力発電、バイオマスのような自然エネルギーから水素をつくり、水素によってさまざまな動力を供給できるようになって行くと思われる。
 分散型発電所として燃料電池を利用して発電すれば、工場や事務所などの建物内の電気と熱を供給できる。余剰の水素はビルの駐車場で水素供給スタンドにして燃料電池自動車に水素を供給することができる。水素充填スタンドの屋根に載せた太陽電池で発電し、この電力で水を電気分解して燃料電池車用に販売することが考えられる。あるいは農村で農業廃棄物のバイオマスからメタンガスをつくり、これを燃料電池車に供給することも考えられる。農場のそばで風力発電による電力で水素を作ることも可能だ。もし農業の振興策と合わせてバイオマス供給や水素供給の仕組みを作れば、燃料電池車が農村を中心に普及する可能性がある。
 水素エネルギー社会への移行は、燃料電池のもつ高いエネルギー利用効率を活用できる可能性がある。そして、水素の供給には、長期的には太陽電池、風力発電、バイオマスなどの自然エネルギーの開発を促すことになる。これにより、地球温暖化などの問題を小さくできる。このように考えると、「水素エネルギー社会」は、これから人類が進んでゆく方向として大筋のところ間違いないようである。水素エネルギー社会へむけて一度このような転換が始まれば、エネルギー供給システムが石油依存から大きく変化して、太陽エネルギー、風力エネルギー、バイオマスなどによってエネルギーを供給する社会へと変わってゆく。


参考文献
1.T.Koppel, Powering the Future、John Wiley and Sons,1999 、日本語版、酒井訳、「燃料電池で世界を変える」翔泳社
2.槌屋、特許にみるPEM燃料電池システムの開発、第22回水素エネルギー協会大会予稿集、水素エネルギー協会、2002年12月
3.槌屋、小林、学習曲線による燃料電池コストの分析、エネルギー・資源、第24巻第4号、2003年7月
4.槌屋、「燃料電池」ちくま新書、筑摩書房、2003